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高松高等裁判所 昭和25年(ツ)11号 判決 1952年8月25日

上告人 控訴人・被告 林松之助

訴訟代理人 市原庄八

被上告人 被控訴人・原告 岩崎春吉

主文

本件上告を棄却する

上告費用は上告人の負担とする

理由

本件上告理由は別紙記載の通りであつて、これに対し当裁判所は次の通り判断する。

上告理由第一点について、

本件記録を精査すると本件の争点は被上告人の主張事実中売買物件たる亜炭の引渡数量について十屯の不足があつたことその為さきに支払つた代金中その不足数量に相当する金一万円の返還について当事者間に特約があつたことの二点である、本件売買契約後そのものについては当事者は争つているのではない、このことは、特に上告人本人訊問の結果などに徴すれば極めて明瞭である、而して前記争点については原判決は適法な証拠によつて、これを認定しているのであるから、この点に関しては原判決には審理不尽若しくは理由不備の違法はないので、所論は採用し難い。

上告理由第二点について

民法第七〇八条にいうところの「不法原因」については、社会の倫理観念に基く公序良俗に違反することを意味するのか或はこれよりも広く国家の政策的な禁止規定に反した場合をも包含するのかについては争のあるところであるが、同条の法意が自ら不正な行為をした者は、法の保護を受けることは出来ないというにあるのであるから同条の不法原因は社会の倫理観念に反するとする前者の見解が相当であると思料する。

されば国家の強行法規に違反する無効な行為であつても当然には不法原因に当らないのであるが、斯ような強行法規特に国家の政策的な規定である統制法規違反について考えると、その規定に違反することが、その当時の社会の倫理観念においても許されない程度に達する行為であるときは前条の不法原因となるものと解する、かかる状態は多くの場合強行法規の社会主法に対する規範化が無理なく極めて順調に行われ、それが社会の倫理観念にまで高められた時であると思われるから、それにはその強行法規の目的や重要性の当否、その違反の社会に及ぼす影響等諸般の事情を考慮して具体的に決定すべきものである。

これを本件配給統制物資である亜炭の売買契約についてみると、原審はこの点について審理を尽しているものとはいえないが記録を点検すれば本件売買契約は当時石炭が極度に不足した為亜炭にまでその配給を統制して国民経済の安定をはかろうとしたのであるからその統制法規に違反して行われたものである以上無効であるといわなければならない、しかしその違反行為がその当時の社会の倫理観念にそむき民法第七〇八条の不法原因に該当するものであるとまでは認められない。

然しながら仮に原審に於て此の点に審理を尽した結果本件亜炭の売買契約が同条の不法原因に当るものと認められるとしても、本件は直接不当利得の規定に基く返還請求ではなく、不当利得に該当する前渡代金の返還について当事者間に前記のような特約があつてその特約に基いてこれを請求しているのである、さればその特約が有効かどうかについて考えてみることにする。

想うに民法第七〇八条の趣旨は不法な原因の為めに給付を受けた者はその給付行為が無効であるからその受益は不当利得に当り、これを給付者に返還すべき義務がある、然るに給付者の方でその返還を請求するに於てはいきおい無効原因たる自己の不正を主張しなければ法律上の保護を受けられないということになる、このようなことは法律の目的に反すること論ずるまでもないので同条はかかる給付者の返還請求権を否認したのである、その反射的効果として給付を受けた方に於てもその返還を拒絶し得ることになるのであつて法は不正な受益者の受益の留保を積極的に保護しその返還義務までも免除したものとは到底認められない、そのことは同条但書によつて不法原因が受益者側にのみあるときは、返還義務あることを明示していることによるも明かである、又不法受益者が任意にその受益を給付者に返還した場合には、これにより返還義務が消滅したことになるのである、若しそうでなく受益者には初めから返還義務がないのであるとするならば返還した受益を更に不当利得として不法受益者において返還を請求することが出来ることになる場合も考えられることになる、かくては、何ら不法原因によらないで不当利得した者でもその利得を返還する義務があるのに不法な受益者に受益の留保を認めたことになり不合理な結果になること明かである、それであるから不法な受益者に於てその受益を給付者に返還することを約する契約(この契約の性質は受益者に於て不当利得返還債務を承認してこの債務額、支払期日について具体的の定めを為す特約である)が有効であること極めて明白である。

されば原判決が本件売渡代金返還契約の有効なことを認定して上告人の抗弁を排斥したことは相当である。ただし原判決の此の点に関する判断は措辞妥当を欠き理解に苦しむところであるが結論に於ては正しいので上告人の所論は採用する限りではない。

よつて民訴第四〇一条第九五条第八九条により主文の通り判決する。

(裁判長判事 石丸友二郎 判事 萩原敏一 判事 呉屋愛永)

上告代理人市原庄八の上告理由

第一点原判決は審理不尽若しくは理由不備の違法あり、即ち原判決の事実摘示を見ると控訴人は答弁として「被控訴人主張の如く控訴人が残代金の返還を承諾したことは否認する」「控訴人は該売買契約に基いて亜炭三十屯を全部被控訴人に引渡したのであるから斯様な承諾をする筈がない」云々と述べ云々としているのであるが控訴人である上告人は本件第一審に於て事実を全部否認しているのである(記録第十六丁及第三十七丁参照)、而して右は記録第七三丁以下の控訴状の事実関係及記録第八七丁以下の昭和二十四年十月十四日付口頭弁論調書以下の双方は原審判決書摘示の事実を陳述したるもので依然第一審の主張の事実通りであり而して右は昭和二十五年二月一日付作成の口頭弁論調書でも従前の口頭弁論の結果を述べとありて前記の如く上告人が原審控訴人として被上告人である原審被控訴人の請求原因を全部否認して居る事は明白であり記録第一〇三丁にある控訴人の主張中「本件売買の亜炭三十屯は既に引渡済である云々の主張は仮定抗弁として控訴代理人が主張したのである事は前後の主張より見るも之れ又明白である、控訴人は右の如く事実全部を否認したのであるが仮りに訴外宮本庄一が控訴人の代理人として被控訴人に売却したものであるとしても右宮本は亜炭全部を引渡済であるから控訴人は仮定抗弁として引渡済の抗弁を主張したのである。

然るに原審判決を見ると右の如く事実を摘示し且つその理由を見ると控訴人、被控訴人間に被控訴人主張の如き亜炭三十屯之が代金三万円の売買契約が成立した事は当事者間に争がない云々と云うているのであるが右の如く上告人である原審控訴人は第一、二審を通し何等原判決の引用する事実は主張していないのである(控訴人主張の判決摘示の事実)、(尤も仮りに引渡していないとしても本件は不法原因に基く取引であるから失当であると言う点は主張したが)右の如く原審判決は控訴人の答弁していない事実及主張していない事実に基いて判決をしているのであるから結局理由不備と言う外なく又昭和二十五年二月一日付(記録第一〇三丁)口頭弁論調書の控訴人の抗弁に付いては須らく裁判所に於て釈明権を行使して明確にしなければならないと思料するから本件は審理を尽さざるものであると信ずるのである、而して本件は控訴人の立証したる証拠に依り本件が上告人の主張が充分通り控訴人の勝訴になる事は記録全体を通し充分確信ある処であるから原判決を破棄して更に相当の裁判を仰ぐ次第である。

第二点原判決は法律を不当に解釈している違法がある。

即ち原判決の理由中に云々「次に控訴人の抗弁事実に付き案ずるに亜炭が当時統制品であつた事は当裁判所に顕著なる事実であるが当時亜炭が配給統制物資であつた事も又当裁判所に顕著なる事実と言うべく従つて之が売買契約に基いて受授された代金を何等かの正当の法律上の理由に基いて其の返還を求める事は適法であるから之を返還する旨の同意も亦有効と言わねばならない云々と言うのであるが本件が当時亜炭の売買契約が配給統制を受け個人間に於ては政府の許可其の他正当の理由がない場合は取引を禁止せられ居る事は勿論であつて斯の如き取引代金は民法第九十条に依り無効なる事も又当然と言はなければならない、従つて之に基く行為は民法第七百八条により其の返還を請求する事を得ざるものである事を主張しているのである。然らば之に対し原判決は之が抗弁に対し当然適当な理由を付さなければならない、然るに原判決は只漫然右の如く判決をしているのであるから此の点に付ては法律を不法に解釈したるか又は理由不備と言わなければならないと信ずるのである。

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